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今からおよそ400年前、
仙台からバチカンを目指したサムライがいました。

石巻の海辺に
サン・ファン・バウティスタ号
という船が係留されています。

東日本大震災の津波にも耐えて残ったその船は、
400年前に大海原を超えて
バチカンを目指した、
支倉常長が乗っていた
当時最新鋭であった船を再現したもの
です。

彼の存在は良く知られていましたが、
なぜその旅をすることになったのか、
その謎は殆ど知られていませんでした。

 

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三ヶ月かけてメキシコへ、そしてイタリアを目指した彼

今見ると決して大きいわけではないその船に、
180名もの水夫らを乗せて、
サン・ファン・バウティスタは旅立ちました。

しかし、なぜ?

それは、近年の東日本大震災に匹敵する地震、
そして津波に仙台藩が襲われたことに端を発していたのでは、
と考えられるという
のです。

その震災復興のための財源を
海外との交易に見出したのでは、
というその「発見」は非常に斬新なものに思えました。

そして、そのために命懸けの旅に出た支倉たちが見た、
当時のメキシコ、そしてヨーロッパは
どんな世界であったのかを、
現地のレポートを含めて語ってくれていました。

彼らは太平洋を越えてヨーロッパを訪れた、
恐らく初めての日本人であったのだろうということです。

 

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伊達政宗のキリシタン保護、そして託された密命とは

支倉常長に託された伊達政宗の最大の目的とは、
ローマ教皇パウロ五世への謁見、
そして密書を渡すことであったというのです。

彼らはローマで大歓待を受けました。

当時のローマ市民にとっては、
まさに不思議の国から来た
稀有な人々であったはずの支倉たちの姿を再現しながら、
その謎を探っていきます。

金箔銀箔で飾られていたその密書(親書)が、
なんと、バチカンで大切に残されていました

美しいそれに隠された秘密、
それは、密書を手渡すときに、
支倉からパウロ五世に口頭で伝えられていた
正宗の願いだったというのです。

バチカンの秘密文書保管庫にあったその証拠とは、
まさに当時の日本の情勢を覆す可能性のあるものでした。

ここで画面にでてきたのは、
古い時代からそのままに残されていて、
今なお一般に開放されている素晴らしい図書館です。

まるでタイムスリップしてしまったかのような感覚にとらわれるその図書館に、
当時の日本からもたらされたものが大切に残されていたのです。

 

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無事戻った支倉と、伊達家の運命

支倉は、
伊達政宗のためにバチカンで出来るだけのことを行い、
そして日本に帰国します。

その長い旅の果てに帰り着いた日本は、
大阪冬の陣・夏の陣を経て大きく揺れ動き、
徳川幕府の天下は盤石となっていました。

時代の流れに押されて、
保護していたはずのキリシタンを排除せねばならず、
支倉の労をねぎらおうにも
さまざまな障害が立ちはだかることになるのです。

失意の果てに亡くなったと言われていた支倉の最期と、
その真相がどんなものであったのか。

享年52歳、
宮城の地に長く伝えられていたその姿は、
これまで知られていない、
しかし実に彼らしいものであったと言えるでしょう。

彼が持ち帰り、
伊達家に残したたくさんのものは、
今もなお、仙台の博物館に残されています。

 

まとめ

一大名でしかなかった伊達政宗が、
バチカンに使者を遣わしてまでなそうとしたした野望は、
もし叶っていたならば、
時代は全く違う流れになっていたはずです。

しかし、大航海時代の命がけの旅は、
形を変えて正宗を突き動かすこととなり、
宮城、仙台藩を豊かなものとしていきました。

ふしぎ発見のコミカルなクイズや、
自らを「キャスティングミスです!」と言いながらも
健闘していたみちょぱも交えての一時間。

とても密度の濃い、
学校の教材にもしたいプログラム
でした。

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