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家出なるものについて考えさせられた1冊。

本棚に収めた購入後の本は何ゆえある日、購入を認めず家出するのか?

大道珠貴のミルクもそんな1冊だ。

知性のないものの反乱は何を目的としているのか?

不幸を目的とする知性のないものについての考察である。

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書き綴ることを無上の喜びと述べてしまうほどの不幸

つらつらと書き連ねる言葉を読むにつけ、女流作家のタイプが変わったと思った。

激しい或いは甘ったるい恋愛ものを書くでなく、老人との臀部にまつわる日々を書き綴る喜びについて淡々と書き進めらていた。

喜びという言葉に疑問を抱く老人との日々。

救いのないのが返ってのんびりと受け取れなくもない間延びした日々として綴られている。

人というものの哀れと言って済むような話ではもはやない。

臀部にまつわる不幸を老人はなにゆえ反省することもないのか。

 

淡々と過ぎ行く日々には最後まで救い一つないままFINで幕は降ろされるのであった。

人というものの不幸を軽々超えてしまった主人公に人としての人格を与える不幸。

物語とはかくも残酷なものである。

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家出と共になりは潜められた

真相を語るものがなく、インターネットが次第に閉ざされていった。

ツイートは削除され真相なるものが聞こえなくとも、人々は勝つために戦う。

0歳の子供に勝つまでやったと聞いて、もはや日本で正攻法はないのかと考え込んだ。

けれども諦めるわけにはいかない。

人というのは、そんな臀部だけの話では終わらない。

 

それにしても、人間の性欲とは醜いものだ。

その醜いことに耐えきれないというのが生まれる前に戻っていく理由だというから、憤りなるものますます募るばかりではないか。

そんなことが後退する理由になんかならないはず!

止められない暴走の一つの終焉が大道珠貴の描く臀部ではなかろうか。

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潜められたなりの語るものはいま?

そんなこんなで大道珠貴のミルクは家出をしたらしい。

納得のいかない話だ。

今頃どこでどうしているのか心配な話だ。

なにゆえか理由など語ることがなくとも随分説得したものだ。

そんな物語がスーモが如く一人歩きしたら心配でたまらないものだ。

一人歩きしたたとえばミルクなる一冊の本が結局最後には帰ってきたかどうか、そんなことを揉めていたようだ。

 

一人歩きの道連れか人質の代わりか何か犯人の述べることが理解出来なかったのだが、勿体なくて諦めがつかないのだ。

一人歩きの妄想が肥大して結局は、その道連れのミルクという一冊から肥大したのだというその小さなものの持つ世界の秩序の重要性に、誰も気づくこと或いは責任を持たないことが残念でならない。

秩序を知らない人の業でミルクは帰って来ない。

まとめ

かつて、失踪として語られてきた日本で父親像として金を払わせるためではなく父親なる人間味としての存在の話だった。

失踪後、なにゆえか止める手段もなく随分大切な貴金属ばかりが失踪した。

金を払わせるための存在だという日本人との決裂の話でもある。

折り合うことはないだろうに。

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