あさま山荘事件が1970年代に起こった大きな出来事なのは、教科書などで見たことがあります。
この番組は今回初めて見ましたが、あさま山荘事件については、鉄の球を壁に当てたことしか知らなかったので、
この際だから、見てみたいと思い、釘づけになってしまいました。
というのも、事件解決に関わった人の多くの人の当時の年齢が、今の自分と近かったのもあります。
あさま山荘事件を知る前の自分と番組を見始めた時
あさま山荘事件は46年前に起こった事件らしく、10日間かけてニュースで放送され、
視聴率は90%とほとんどの人が見ていたことになるそうです。
今話題になっているオウムの松本死刑囚の逮捕の時、小学生でしたが、
クラスでその話題が出たので逮捕をみんなでテレビで見たり、考えたことをノートに書く機会があったのを覚えています。
横で見ていた母にあさま山荘事件の事を聞くと、当時は中・高校生の時で、学校から帰ると大変なことになっていたと言っていたので、
同じくらいの凄さだったのかなと思いました。
あさま山荘事件とは、学生運動のような感じで今の世の中に疑問を持った有名大学の生徒たちが、最初は抗議のようなものを起こしていたのに、
次第に仲間を殺すなどして、やがてあさま山荘事件へと発展していったそうです。
警察という仕事は格好いいけど命がけの仕事
あさま山荘という長野の建物に、管理人の女性を人質に、若者5人が立てこもり、壁にいくつか空いた穴から銃を発砲するので、
警察は約3万以上の人数で立ち向かったと言います。
ゲストの落語家も、兄が警察官だったため九州から借り出され、家族は気が気でなかったそうです。
なんだか、特攻みたいな感覚になりました。
銃弾は盾1枚でも貫通してしまい、2枚使っていましたが、それでも安全ではなかったそうで、
指揮を取った人も犯人達の心境を考えると下手に動けば大きなテロになりかねないと考え、慎重だったそうです。
大学で犯罪心理学を学んだことがありますが、
事件解決のための計画を立てる時に、相手の立場になって考える時に、そういった学問が役に立つのかなと思いました。
警察は、犯人達の母親を呼んで呼びかけても、母に向かって銃を打ったと言います。
人との出会いは大切だと思えた瞬間
警察の中でも部下の信頼が厚かった内田さんは、白田組という建設系の会社に電話をかけ、
鉄の球で7m先から建物を壊せるか聞き、まさかと思った白田さんは最初は驚きました。
事態は事態だし計画的に物事を進めて行くうちに、白田さんは、
内田さんは初対面だけど仕事や人の為に頑張るいい人だ
と言う事を感じ、協力することにします。
指揮官は白田さんを1日警察に任命し、成功を祈って前日に祝杯をあげます。
当日、銃弾が鉄の球をあてる為の車の窓に当たり、白田さんの目にほこりが入り、大変な事態だと言う事を目の当たりにします。
先頭だって指揮を取る内田さんを銃が狙っているのを見た白田さんは、それを内田さんに伝えるも、
「ありがとう。」と笑顔で、その数秒後に内田さんの目を銃弾が直撃しました。
病院に搬送されましたが、内田さんを含め警官が2人殉死してしまいました。
悲しみの中、部隊は山荘に乗り込み、1階にいると思われていた女性はそこにおらず、だけど無事に助け出され、犯人たちもそれぞれ刑が与えられました。
だけど白田さんは犠牲者が出たから失敗だと言い、感謝状も飾らなかったと言います。
白田さんにとって内田さんは尊敬する人だったみたいで、久しぶりに山荘を見に行くと、泣けてきてダメだと言っていました。
まとめ
白田さんは今まで取材に答えてきたけれど、詳しく話したのは今回が初めてで、
それは余命ある内にちゃんと話しておきたかったからだそうです。
感謝状を飾らなかったのも、
いつもはおしゃべりだけど、公にすることで家族の命を奪われたくなかったからだ
と言っていて、見えない優しさだと思いました。
戦争と同じように、嫌なことが起こらないように伝えなくてはならないんだと思いました。
また、刑務所を出た犯人の一員の人は、ベトナム戦争に対する日本への疑問が今回の事件を生んだと言っていたので、
起こした側の話しも聞くことが大切なのだと思いました。