小説「ツアー1989」は、2006年の5月30日に中島京子によって集英社から刊行された連作短編集になっております。
元になっているのは文芸雑誌「すばる」に連載されていた4編の短編小説になり、加筆修正された後に単行本化された作品になります。
ストーリー紹介(ネタバレなし)
15年前の1989年から1992年にかけて香港で開催されていた謎めいた「迷子ツアー」に巻き込まれて運命を狂わされた、4人の男女の行く末が不思議な味わいのストーリーになります。
参加したメンバーのうちひとりが旅先で消え失せてしまうという、奇想天外な設定には驚かされました。
他のお客さんにはまるっきり印象に残ることのない、始めから居たのか居ないのかわからない程の薄っぺらい参加者がユーモアセンスたっぷりとしていました。
何処か都市伝説めいた響きもあり、ネット上で拡散されている根も葉もない噂話のような印象もありました。
座敷わらしのような神隠しのような可笑しな感覚が湧いていくと共に、ツアーの真の目的と主催者の正体に惹き込まれていきます。
あなたにもある失踪願望
年間8万人にも上るという、今の時代の日本社会における失踪事件の多さには考えさせられました。
1990年代の後半から激増していく失踪者の背景には、経済的な不況による原因だけではないはずです。
ありきたりな日々の暮らしや複雑化していく人間関係から解放されるために、ある日突然に全てを放り出して見知らぬ土地へと逃げ出したくなる気持ちには共感出来ました。
街中至る所に監視カメラが張り巡らされていき、ありとあらゆる情報が様々なメディアを通じて即座に発信される現在の風潮を思い浮かべてしまいます。
自分自身のアイデンティティを捨て去り他の誰かに生まれ変わってみたい
という願望実現は、いつの時代どこの国でも同じなのかもしれません。
特に良かったセリフや言葉
全編を通して散りばめられている忘れがたいセリフの中でも特に印象に残っているのは、
「これだけ世界中どこへでも行かれるようになると、かえって夢がなくなる」
という言葉でした。
迷子付きツアーを企画した旅行代理店の従業員が、思わず本音をポロリとこぼすシーンに登場します。
SNSやオンラインゲームを始めとするバーチャルリアリティーの世界での繋がりを大切にして、自分自身の目で見て足を運んで経験を積み重ねていくことをためらってしまう若い世代に重なるものがありました。
15年前に迷子ツアーに参加した添乗員・カメラマン・サラリーマン・ノンフィクションライターそれぞれの過去が、時を越えてひとつにめぐり逢っていくクライマックスが圧巻でした。
まとめ
記憶の迷路へと導かれていくようなミステリアスな展開からは、まだ見ぬ世界への憧れが伝わってきました。
海外へ行くのが好きな人ばかりではなく、普段は旅行をしない方たちにも是非とも手に取って頂きたい1冊だと思います。