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ボビーフィッシャーとは

世界で最も盛んな盤上ゲーム、チェスにおいて

「世界最強のチェスプレイヤー」「アメリカの英雄」

といわれた伝説的な人物です。

 

出身地はアメリカ合衆国、

肩書きは世界チャンピオンの称号獲得。

日本の将棋界で言う

羽生善治棋士に相当するプレイヤーです。

 

実はこの両者にはその世界のトップと言う肩書きだけでなく

フィッシャー自身が来日した事があり、

羽生名人と接点があったのです。

この事については下記で触れる事にします。

 

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ボビーフィッシャーの名言と羽生善治の関係は?戦ったらどっちが強い?

ボビーフィッシャーはアメリカ合衆国で生を受け、

幼い頃からチェスの天才として名を轟かせていきました。

 

大人になってからはソ連のプレイヤーばかりが上位を占める世界大会で優勝し、

最強の称号を手に入れます。

 

彼は

「自分はチェスの天才ではない、頭脳明晰の天才がチェス界にやってきただけだ

等の自信に溢れた名言を残しています。

 

彼が活躍していた当時

ソ連とアメリカは冷戦状態にあり

軍事力や技術力などあらゆる面で競い合っていました。

アメリカ人ボビーの対ソ連戦も

また盤上で行われる代理戦争でした。

 

彼はここでも

「チェスの駒と言うミサイルを撃ち込んでやる」

との強気な発言を行い

宣言どおり優勝し、

アメリカの英雄として国から表彰される事となります。

 

しかし王者になってから状況が一転し、

防衛戦に回った時にチェス連盟にルール改正などを要求しチェス界と反発、

アメリカの英雄は母国を追い出され各国を逃亡する日々を送り、

日本に不法入国したところを逮捕され身柄拘束されました。

 

この事件は将棋の大御所、

羽生善治名人の耳に届く事にもなります。

 

将棋で有名な羽生名人は

チェスにも精通しており実力は国内一位。

 

しかしレーティングはボビーのほうが上回っており

実力は恐らくボビーが上。

 

そのことからボビーを評価、尊敬していた羽生名人

国宛てに釈放の嘆願書を送る減刑活動を行い、

この運動がチェス界を動かし

アイスランドがボビーに市民権を与え引き取る形になりました。

 

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ボビーフィッシャーは実は日本大好きってホント?日本との関係性は?

ボビーフィッシャーは

アイスランドに引き取られてからは静かな余生を過ごし

2008年に64歳で生涯を終える事となります。

 

その間は世界中を逃亡し、

賞金で得た資金も尽きて世界を飛び回ることも出来なくなり

主に日本によく不法滞在していたといいます。

 

亡命先に日本を選んだ理由

  • チェスや彼に対する熱狂的な支持者が匿っていた
  • 日本文化が好き
  • 日本が自分の嫌いな国から遠い

などの憶測がなされていますが

決定的な理由は見つかっていません。

 

事実として挙がったのは

ボビーが日本チェス協会の渡井美代子局長との結婚手続きを行っていたことから

米国への強制送還を避ける意図があったのではないかとの予想があります。

 

また、日本でも羽生名人やチェス愛好家の官僚、

他多数のチェス愛好家がボビーを守る運動を行う動きが見られ、

日本とボビーの関係性は悪くなかったのではないかと思われます。

 

日本での運動に賛同を覚えたアイスランド政府は

ボビーに対し市民権を与えアイスランド国民になるよう措置を取り、

日本政府はそれを認めアイスランドへ彼を釈放することとなりました。

 

人道的見地から行われたこれらの手続きは

アメリカ政府も認め

強制送還には目をつぶることになりました。

 

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まとめ

天才少年として世に出て、

気が付けば自国の英雄になるもチェス連盟への抗議で

世間から追放される波乱に満ちた人生を送ったボビー。

 

彼は連盟に対する態度以外も気難しく、

群がる観客やマスコミが邪魔で勝負に集中できないなどの不満を

平気で口に出す人物だったといいます。

 

勝手で大胆不敵に見える生き方ですが、

勝手さは純粋さと言い換えることが出来ます。

彼独自の世論に囚われない姿勢は、

チェスに限らず人間が生きていくうえで自身を見失わない指標になるでしょう。

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