吉川英治の小説『宮本武蔵』は十五年ほど前、まだ高校生の頃でした。
あのときはただ単純に剣豪小説として面白いの一言でしたが、社会人になって30代に入った最近になってまた読み返すと、あの頃には気づけなかった魅力がぎっしり詰まっていることに驚かされます。
吉川英治の描く人間「武蔵」と、その秀逸な世界観の描写について紹介します。
新聞連載ならではの醍醐味、予測不能な展開!
吉川英治が『宮本武蔵』を書く前に決めていたことは、佐々木小次郎との巌流島決戦だけ。
その間のエピソードは新聞連載を書き進めていく過程で思いついていったということです。
物語の中で武蔵は、吉岡一門や宍戸梅軒との鬼気迫る対決など、様々な強敵と渡り歩いていきますが、それは途中途中で物語を面白く盛り上げるために膨らませたものらしい。
作家にはときどき、先の展開を決めずに書き始める人がいるようですが、行き当たりばったりに書いても面白くなければ読者は離れる。
それを毎回飽きさせない技術は新聞連載には欠かせない要素だったのでしょう。
また作者自身に、すべての登場人物に対する愛着がなければ、これほどまでに活き活きとした対決場面は生まれなかったに違いありません。
史実と虚構の織り交ぜ方が時代小説の最大の魅力!
歴史小説と時代小説の違いを明確に答えることは難しいものですが、剣豪小説の場合、あまりにも史実に固執し過ぎるとつまらない物語になってしまいます。
しかし、資料が曖昧だったり、創作の余地が残された人物ほど小説のキャラクターとしては引き立つもの。
吉川英治はその点、宮本武蔵という最大の武器を手に入れたといえましょう。
近年では宮本武蔵に関する研究が進み、小説の武蔵像は徐々に淘汰されていく傾向にありますが、吉川の執筆当時は戦前で、まだ研究も進んではいませんでした。
そこで史実と虚構をうまく織り交ぜることに成功したのです。
歴史書によると、吉岡一門は確かに実在するが、本当に武蔵と対決して敗れたのかは曖昧とのこと。
ですが、それを読み応えたっぷりに描き切った筆致力はさすがだといわざるを得ません。
どこまで説明するか、あるいはあえて書かないか?
これは吉川英治に限った話ではなく、同時代の作家のほとんどに当てはまることですが、当時の作家は現在の作家と較べて日本語は正確ではないらしい。
学歴もいまと違って皆が平等に教育を受けられたわけではありませんでしたから。
しかし、吉川をはじめ当時の作家が現代の作家に勝っているものがありました。
それは、読ませる力です。
現代の作家にありがちなのは、新聞や論文のように説明口調となってしまうこと。
それでは読者はつまらないと感じ、読むのを途中でやめてしまう。
しかし、吉川の文体はそうではない。
日本語としては曖昧でも、しっかりと読ませる力を感じるのです。
説明ではなく、描写。
これは作家の基本ともいえることかもしれませんが、吉川のそれは他に類をみない、秀逸なのです。
斬りあいの場面でも、冒頭の合戦あとの場面においても、あたかも武蔵がそこにいて呼吸しているかのような、生きた人間を感じるのです。
どんなに日本語が正確でも、この感覚を読者に伝えられるとは限りません。
吉川は、これに成功しているといえましょう。
まとめ
社会人になった今だからこそ気づける普及の名作は数多く存在します。
吉川英治の『宮本武蔵』も間違いなくその一つに含まれることでしょう。
なぜ戦前に書かれたこの小説が、戦後七十年以上経ったいまなお読者の心を突き動かすのか、それは吉川の持つ圧倒的な筆致力、決して読者を飽きさせない、読ませる力を持った稀有な作家であることを証明しているのではないでしょうか。