アウトドア精神が少しもなくても、世界の果てまで連れて行ってくれる角幡唯介の「空白の五マイルチベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」。
ツアンポーなんて聞いたことないけれど、なんだかすごそう、空白の五マイルとは何がある場所なんだろう、とタイトルから興味が湧いて来ます。
探検史に知識が一切なくても、ツアンポーがいかに多くの探検家を魅了し、危険な場所で、憧れの場所だったのかがわかります。
空白の五マイルとはなんなのか
数々の探検家が挑んだチベットのツアンポー峡谷。
19世紀頃人跡未踏だった奥のそのまた奥に、確認されていない一区画があり、そこに巨大な滝が存在すると言われていました。
それを確かめるために、その後も度重なる調査がされ、幾度も探検隊が送られましたが、なかなか全貌がつかめませんでした。
当時情報は少なく、そこはひどく険しい場所で、なおかつ現地の人々は外からの人間たちを望んではいませんでした。
しかし少なくはない探検家たちがその場所に魅せられました。
著者もまたその一人でした。ツアンポーがいかに厳しい自然として存在するかは、作中で示されています。
厳しい自然を遠くから見るとき、生き残った人たちの話しか読者は受け取れません。
少なくとも生きて帰ってこれる、という場所のように錯覚しますが、決して自然は命を確約しないことが書かれています。
二度のツアンポー峡谷への探検
著者は二回ツアンポー峡谷を訪れます。
一度目では足り切らない部分があったのでしょうか。
二度目の単独行は無茶をしすぎなのでは、と読んでいてハラハラさせられます。
2008年にラサで大規模な暴動が起こった関係で、外国人の入域はとても難しいものになりました。
2009年、筆者はもう一度、ツアンポー峡谷へ赴くのです。無許可での旅行です。
無許可であることは、後々村人との関わりで少なくはない影響を及ぼしました。
どうして無茶をしてまでそこへ赴くのでしょうか。
そこにあるのは探検家の孤独に他なりません。不安と孤独を望んでいるかのようです。
そうとしか思えないほどの、壮絶な展開にページをめくる手が止まりません。
筆者が本を書いているということは無事に帰ってきたのだと理解できますが、本を読んでいる間中、無事に帰ることができるのか心配になります。
まさに命がけの冒険です。
しかし、著者のスタンスがあくまで自分のため、というスタンスだからでしょうか、読む方もシンプルに凄まじい体験を享受することができます。
まとめ
この便利な現代で、なぜ探検にでるのだろう、という疑問はあるかと思います。
ネットでなんでも検索することはできますが、自分の目で確かめるということが大事なのかもしれません。
何が起こるかは現地に赴かなければ分からないのです。
その文化圏に生きる人の持つニュアンスと、外部から聞くニュアンスでは隔たりがあります。
そういったことは、現地で目で見て、話をしなければわからないものでした。
著者は他にも探検にまつわるノンフィクションを書いていて、極北の地にも赴いています。
行ったこともなければ、行く機会もない場所、そして想像もつかない場所が、事実に絞られた文章を中心にその時の感情が丁寧に書かれているのでとても読みやすく伝わってきます。
著者の体験が迫るようです。一冊読めば、探検を書いた他の著者の本にも興味が湧いてくると思います。