図書館に行ったら、
とても分厚い伝記の本が
シリーズで並んでいました。
私が手に取ったのは、
宮沢賢治や良寛、
津田梅子や雪舟が入っている内容です。
明治時代の歴史漫画に、
津田梅子が幼くして使節団の船に乗ったということが
書いてありました。
先日それを読んだことから、
どんな人だったのか知りたくなったので、
借りてみたのです。
津田梅子と印象的だった宮沢賢治、
そして良寛について紹介します。
目次
意外とシンプルにまとめてあった津田梅子のページ
この本は、宮沢賢治と良寛がメインだったみたいで、
津田梅子に関しては使節団の存在が大きかったのか、
そこに重点が置かれていました。
梅子の親は外交官のような仕事をしていて、
それがきっかけで父親が梅子に
「他の友達も船に乗るから、海外に行ってみないか」
と声をかけたみたいです。
梅子は親と一緒なら行きたいと思い、
最年少の7歳で海外へ行くことに決めたのでした。
その後、
高校時代まで海外で勉強をしました。
日本に帰ってくると外国とは違って、
女性が意見出来ず、
学問が発達していないのは
遅れていると感じたそうです。
最初は英語の先生をしていましたが、
学校が少なかったことから世間からは
先生という給料のいい職業に就いたのに
勿体無いと思われつつも学校の建設につくしました。
出来れば、
建設後の苦労も読んでみたかったです。
宮沢賢治を読む前の印象と賢治の生い立ち
宮沢賢治は、
小4の時に地元のホールで
「グスコーブドリの伝記」の映画を見たことくらいです。
国語の便覧で簡単な生い立ちを読んだところ、
文学者は体が弱い人が多いのかなと印象を感じました。
また、
東北旅行のために資料を集めると、
岩手県といえば宮沢賢治と書いてあっても、
あまりピンときませんでした。
本を読むと、
あまり知らない人は宮沢賢治の伝記や本を
なんども読んでから資料館に行くといいと書いてありました。
賢治の家は質屋で商人の仕事をしていました。
賢治は、
長男である自分が継ぐと思っていましたが、
父親は畑や勉強が好きで、友達が具合が悪いと
自分も深く寄り添う姿を見て、
客商売は合っていないと考えたのです。
賢治の物語は仏教が元になった
賢治の時代は、
12歳になると大体は家業を継ぐ人が多かったものの、
父のすすめで中学校に入れて貰い、
やがては農業を学び研究職をするまでになります。
賢治は一時期、
妹の看病などで家に戻り家業を手伝っていました。
ですが賢治は、
お金に困っている人に規定を反した金額を与えてしまったり、
税をつけなかったりしたので父は、
やはり向いていないと判断したようです。
父と意見が食い違い始めた賢治は上京し、
宗教関係の団体を作って、
仏教に基づいた物語を書くようになります。
農業を教える仕事もしますが、
農業生活者は質素に生きるものだと自分を厳しくしていたため、
栄養不足で倒れてしまいます。
布団から出て夏祭りを見ようとした賢治を見た農業関係の人が、
ずっと賢治に依頼したかった仕事を持ってくると、
賢治はそれにとりかかりましたが、
それを機に病死してしまうのです。
私は、
その人が仕事を持ってこなければよかったのに
と思ってしまいました。
良寛の家は母親が厳しかった
続いて、
良寛にスポットを当てて見たいと思います。
良寛は山本家の長男で、
名主をしている家でしたが、
父親はその仕事を放っておいて
好きな俳句の世界に入り浸ることが多かったみたいです。
それを見た母親は、
息子にはちゃんと名主になって貰いたいと考えていました。
ひきこもりがちな性格を治して貰いたくて、
夏祭りに行くように言います。
その夜、
物音がしたので槍を持って外に出ると、
夏祭りに行かずに外の明かりで本を読んでいた息子でした。
周囲の人達も、
良寛は名主が合わないと冷やかしていました。
そんなある日、
農民と税を徴収する人の仲介をするのが名主の仕事ですが、
父親が留守なので見習いである良寛が担当することになりました。
農民はこれ以上税をあげられると生活がやっていけないと言い、
それを上の者に良寛が報告すると、
そんな奴は殺してしまえといわれ、
板ばさみになってしまいます。
名主が嫌な良寛がなった職業とは?
一方で、
お腹がすいて食べ物を盗ってしまった人がいて、
「殺す前に話しを聞いてみたらどうですか」と上の者に聞いた良寛。
「どこでも悪さをしているはずだ」
と殺してしまう場面を見てしまいます。
父と同じく自分も、
こういう仕事は無理だと思いました。
なので、
良寛はそれが嫌で寺の住職に弟子入りし、
3年も家に帰らなかったそうです。
ですが、
さすがに岡山の遠く離れた寺に行くことになった時は、
家族と離れるのが辛かったみたいですよ。
岡山に行った良寛は、
仕事に身が入らないのが住職に見破られ、
ある先輩を見習いなさいと言われます。
その先輩は、
みんなから人と変わっていると言うことで
バカにされていましたが楽しそうに畑仕事をしている姿に驚き、
それが影響したのか良寛はにこにこ笑って穏やかに生きるように努めました。
良寛の自由すぎる晩年
仏門に入ると、
お経を唱えてお米やお金を貰う修行をするようで、
私も小学生の頃に駅で拝んでいる人を見たことがあるので、
このことだったんだと思いました。
寺を構えたり、
上手な書でお金を得る方が儲かるのに、
ぼろを着てお遍路をしている為に泥棒と思われることもありました。
行き当たりばったりで親切な人に食事を頂き、
子供が好きなので一緒に遊ぶこともあったみたいです。
ですが、
親の死に目にも会えず、
20年ぶりに名主になった弟に会ったときは、
少し悲しく感じました。
その後、
60になり足腰が弱くなり、
70の時には子供と遊べなくなってしまいます。
そうなると弟と知り合いの尼達がお世話をしてくれて、
眠るように74歳で亡くなったそうです。
かくれんぼで藁に隠れるとそのまま眠ってしまい、
朝になって藁を取りに来た農民に驚かれた場面が
とくに面白かったですね。
まとめ
宮沢賢治は、
火事を起こした友人たちが逃げても
最後まで火を消す作業に取り組み、
気が付くとまゆげがなくなってしまったことがあります。
また、
クラスメイトが貧乏で赤いシャツを着てきたことから
「女みたい」と冷やかされたのを見た賢治は、
「それなら、僕も明日から着てくるから、いじめないでほしい」
と発言したそうです。
すると、
その友人たちは冷やかしをやめたというので、
優しくて勇気のある、人に寄り添える人なんだと
今までの印象が代わりました。
一度決めたことを曲げず、
そのせいで苦しんでしまうところも、
自分と重なって見えたので親近感を持ちました。
読んでみると、
津田梅子、宮沢賢治、雪舟、良寛に共通するのは、
自分のやりたいことをしたということです。
一度は安定した職業に就きつつも、
やはり自分のやりたいことを
世間体を押しのけてやり通したところが凄いです。
親や先生と将来のことで考えが異なり、
揉めそうになった場面は、
津田梅子以外は書かれている場面があり、
そういう時期ってかならずあるんだなと思いました。