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次男と同級生のAくんは一人っ子でした。

そのお父さんはちょっと年齢高め、お母さんは私より少し年上でしたが、面倒見がよくてフレンドリー。

仲良くなって数年間は蜜月でしたが、小学校にあがって、様子がおかしくなってきました。

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勉強が出来るか出来ないか。

小学校に上がると、A家は成績に固執するようになりました。

とはいえ、小学生の算数や国語は家族がつきっきりで見るのがお約束のような勉強ですが、A父は多忙で、A母は自分がドロップアウトしていたため、勉強の仕方、させ方を知らない人たちでした。

そういうところで、うちの息子たちの勉強の方法や生活習慣などを聞かれて、何も考えずにいろいろ教えたら、妙に懐かれて、やたらと依存されるようになってしまいました。

最初の二年ほどは大して気にもしなかったのです。

一緒に習い事をしていたこともあって、過ごす時間も長かったので、その流れの一つとして深く考えもせず付き合っていたのです。

しかし、だんだん様子が変わってきたことに、息子たちの方が気づいていたのでした。

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誰も「友達」がいない、その状況

A父は、年齢が高いせいか(Aくんは彼が50歳の時に生まれた子)、参観日や習い事の付き添いで周囲のお母さんたちと一緒になるとほぼ説教モードになって自分の子育て論を語ってしまう人でした。

そして、その批判や意見はほとんど的外れで、だんだん遠巻きにされるようになってきました。

A母も、あまり人付き合いが得意ではなかったので、我が家と習い事が一緒の数人くらいしかママ友もいなくて、孤立しがち。

必然的に我が家に寄り掛かるようになってきたのです。

そのころから、成績のあがらないAくんはに通うようになりました。

成績が低迷していて、それに悩んだ両親が塾に放り込むようになったのです。

しかし、小学生の成績は塾よりも家庭学習の習慣が問題です。

A両親はそのことを分かっておらず、3か月たって成績が上がらないと次の塾を探す、という具合でだんだんコンプレックスをこじらせるようになりました。

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それは明確に『虐待』だったと思う

Aくんは素直な子でした。

結果から言うと旧帝大に入るほど賢い子でしたが。

A両親は小学生時代の彼に『お前はダメだ!なんでこんなこともできないんだ?!』と毎日夫婦でシャワーのように言うようになりました。

A母は私にもその『ダメさ加減』を毎日愚痴るようになったのです。

うちの息子たちと比べて、今日はあれがダメだった、という具合で毎日毎日続くのです。

『なんでそんなことをいうの?!ダメじゃないよ!』と反論しても無駄。

あとでわかったことですが。それは恐らく私に甘えていたのだと思います。

 

このころ、すでにA母の周りにはママ友が誰もいなくなっていました。

それで、A母はずぶずぶと私と息子たちへの依存を深めていったのです。

Aは、塾通いに囲い込まれてうちの息子たち以外の友達がいなくなっていました。

私たちが彼を見捨てたら、もっと親の管理が厳しくなって、きっと本当に孤立してしまうのでは?という心配もあって、離れることを躊躇している間に、A父の暴言が始まり、結果的に我が家の息子たちが不安定になってしまう事件があったのです。

Aをかばっていたことで、我が子二人が泣くことになった、その事態はもう許せるものではなく、やっと、これではだめだ、と思い、離れる決意をしました。

住まいが近かったのですが、学校にも事情を話し、登校ルートも変え、気を付けて過ごすこと数か月。

やっと落ち着いたころには、A君は親ともども、完全に孤立していました。

まとめ

それから数年。

Aくんは毎日のように親から『お前はダメだ』と叱責される日々だったようです。

児相も入りましたが、どうにもならず。

しかし、親がびっちり付きっ切りで塾に行ったおかげでトップ高から旧帝大へ進学しました。

その現状に『ほら、ダメじゃなかったじゃん』と私は思いましたが。それはもう別の話ですね。

 

息子も友達だから、見捨てることを躊躇して距離の取り方を間違え、息子を泣かせてしまったわけですが。

それ以来、友達と言えども深入りせず、慎重にその様子を観察するようになりました。

胸は痛みましたが、自分の中の優先順位は守らなければ、と思った次第です。

 

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