全国規模の組織の社宅で暮らしてきました。
転勤も頻繁でしたので、インターネットが普及するずっと前からずーっと人間関係は全国ネット状態でした。
どこに行っても誰かとつながっている誰かがいる、そういう緊張感のある暮らしだったのです。
とある巨大な社宅群で暮らした5年間
中部地区のその社宅は大きな建物が10数棟あるような巨大団地でした。
必然的に色々な人がいます。
ことに面倒なのが夫らの役職で嫁と子供をランク付けするような人たち。
そして、暇なのか、いろいろな陰謀を巡らせているようなドラマのようなことをしている人たちでした。
子供たちが公園で遊ぶときにもいろいろな決まりがあったり、駐車場の使い方なども不文律がいっぱいあったのです。
中でも一番「バカじゃねーの?」と思ったのが「布団を干したら順番に叩いて埃を落とす時間が決まっている!」というルール。
アホらしくなったので、我が家では取り込んでから掃除機で埃を吸うようにしていたら「あそこの家は埃を叩かずに取り込んでいて汚い!」という噂がたったというオマケがつきました。
そんなくだらないことをしているうちの一人が、夫の上司の嫁でした。
そしてその子分だったAが、私にとってのガンでした。
それ注意してなかったら多分死んでたと思うんだけどな、という出来事
Aは長男と同い年でしたが、いつも夕方外に一人で遊びに出ていました。
お母さんは?というと『昼寝してるー』というのです。
しかし、社宅の中の道路は宅急便やさんや夕方帰ってくるお父さんたちの車で結構な危険地帯でした。
そんなある日、Aが車の前に飛び出しそうになって『Aくん!危ないよ!下がって!』と私が叫んで首根っこを押さえて事故を回避した、という事件が起こりました。
その声を、たまたまA母が家の中で聞いていたというのです。
その日から、あからさまに私と子供たちに対するいじめが始まりました。
他の子は遊びに誘われるのにうちの子たちは無視とか。
幼稚園のバス待ちで挨拶しても返さないとか。
あとで判ったことですが、A母は、私がその息子の名前を怒鳴ったことが許せなかったというのです。
だったら自分で見てけばいいのに、それに対してはスルーで、文句ばっかり言っていたようです。
さらに、A一家はその時ひと月後に転勤を控えていて、イジメて”やり逃げ”をもくろんでいたようなのです。
全国ネットだってことをどうして忘れるかな?
Aと黒幕がつるんであれこれやっている動きが見えてから、あほらしくなったので、どんどん社宅の外の友達と遊ぶようになり、子供たちも平穏を取り戻していたころ、Aらに巻き込まれて無視する側に回っていた友人が良心の呵責に耐えかねて(笑)謝りに来て全部暴露してくれました。
黒幕は取り立てて実害を感じなかったので、とりあえずAを叩き潰す(笑)ことに。
転勤一週間前、A夫が帰宅するときに突撃して、それまでの経緯をA夫の目の前でつまびらかにし、Aは夫に説教されて顔面蒼白。
やられたことや、その原因の出来事も全て記録していたので
『二度と私と家族の前にその面出すな。今度何かやったら訴えて勝つ!』
というと、それを周囲で見ていた他のお母さんたちもおとなしくなりました。
その一週間後にA一家は夜逃げするように誰にも見送られることなく転勤(黒幕ボスママも出てこなかったらしい)。
しかし笑ってしまうのは、その一年後に我が家が同じ任地に転勤して再びまみえることになってしまったのです。
まとめ
もともとその転勤先には私の仲良しがいました。
なので、あらかじめその社宅にはその友人を通してAへの警戒警報が流布されていたのです。
どうしてそうなると予想できなかったのかな?私よりも社宅歴は長かったはずなのに。
そして、この業界の社宅の世界はインターネットが普及するより前から当たり前のように全国ネットだっていう事実を、どうして忘れるかなぁ、と。
A夫も最寄りのスーパーで私と目が合って何とも言えない顔をして逃げたし。
当時、そんなこんなの因果応報が渦巻いていました。
自分の教訓としては、やったことはいずれ良くも悪くも自分たちに帰ってくるのだから、慎ましく、そして穏やかに暮らしていこう、と思いました。